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恋の季節

昔々。ちょっと昔。
1960年代、大ヒットし流行歌になった曲がある。

「ピンキーとキラーズ」の「恋の季節」である。

知っている人は知っているし、知らない人は知らないであろう。

私は、幼かったときオンタイムで聞いていたのでよく口ずさんでいた。

ファッションはシルクハットにタキシードである。
これも背伸びしてまねをしていた。

歌詞が何ともストレートで、「情景描写」が卓越していた。

思い出しながら歌詞を書いてみる。

忘れられないの
あの人が好きよ
青いシャツ着てさ
海をみてたわ

私は裸足で
小さな貝の船
浮かべて泣いたの
訳もないのに

恋は
私の恋は
空を染めて燃えたの

死ぬまで私を一人ににしないと
あの人が言った
恋の季節よ...

失恋の歌であり、女性の心には「jealousy」があるらしい。

そこがちょっと昔の「恋愛観」であったような気がする。

現代の「ドライ」な感じではなくちょっと「ウエット」な情緒が感じられて、懐かしいなあと思うのである。

当時の「人間の内面性」をしみじみと思うのである。

想いが募る

想いが募る。

歳のせいかもしれない。

最近幼かった頃の想いがよく思い返される。

夏に

風鈴の音色が涼しく聞こえたり。
打ち水で涼をとったり。
扇風機に向かって声を出してビブラートしたり。
行水でパンツ一丁になって水鉄砲で遊んだり。
カブトムシや、クワガタムシを捕まえたり。
蚊帳に入るときに団扇でぱたぱたして入った入り。
豚の線香立てに、蚊取り線香を焚いたり。
蛙の声を聞いて夏だなあと感じたり。

今ではもうほとんど見られなくなった光景である。

風情があった。

粋があった。


今も、当時の想いが募るのである。

僕が猫語を話せるわけ

ある夜、庭で物陰が動くのを感じた。

なんだろう?

そのときはわからなかった。

次の夜、また同じように何かがいる。

音を立てる様子もない。

はて?

とその時、かすかに...

「にゃ~」

猫だ!

のら猫が、家に訪れたらしい。


なぜか、行儀良く家には上がろうとしない。

ただ黙って、こちらをみている。


どうも息が合ってしまったようだ。

魚の骨をやる。

むしゃむしゃ食べた。

食べ終わったら、「ごちそうさま」であろうか、舌をペロペロ。


毎晩来るようになり、とうとう我が家の一員になった。

野生の本能か、夜は外に帰っていく習慣が付いていた。

ちゃトラのスマートな猫である。


家では、アイドル的存在になった。

飼育係は勿論私である。


ある日、二階の勉強部屋で生活していた私の所へ、どうやって憶えたかのか屋根づたいに部屋まで「訪問」してきた。

寒い冬の夜、呼気が白かった。

「にゃ~」

思いもよらぬ訪問に、大歓迎であった。

その後も、何度も訪問してきて友情が生まれ、「会話」ができるようになった。


「僕が猫語を話せるわけ」と言う本があるが、猫は言語をちゃんと持っているものだ。


何年かたち、突然「訪問」が途絶えた。

いつ来るのかいつ来るのかと、待ちわびたがとうとう来なくなってしまった。


猫は、黙ってお別れを言い、闇夜に帰ってしまったようだ。

成り行きを見守る

日本国中、天候不順が起こっているようである。
雨もよく降る。

暑いかと思えば、寒くなったりして。
変動が激しい。

桜の花も咲くのが戸惑っているようなところもある。
「桜カーニバルに桜なし」なんてさみしいなあ。
なぜいつもとパターンが違うなあ~

こうなると体への負担も大きくなる。
体調管理がとても難しくなる。

しかし、こんな時は、自分としては、「謙虚」に受け止める。

気象変動は、地球の呼吸であるので、あまり危惧せずおおらかに受け止めたい。

サイクルは巡ってくる。

今は、成り行きに任せて、また穏やかな日が巡って来るであろう。

成り行き任せをすすめる。

波音聴けば

波音聴けば、心が落ち着く。

波音聴けば、力が湧いてくる。

波音聴けば、やさしくなれる。

寄せては返しくり返す。

緩やかなテンポ。包み込むような音色。

海は、生命の原点だから。

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